お金と貿易

日本では1960年に貿易為替の自由化が施行され、その後10年を経過した70年には資本自由化が本格的に具体化されました。戦後の世界貿易の拡大に伴ない自由化の風潮は一般化し、これを阻止してきた諸措置は改廃されて、お金や財貨の流通は自由に往来し、その支払や決済手段の管理が緩められ、さらに資本そのものが国境を越えて自由に移動することができるようになりました。関税の一括引下げ、非関税障壁の撤廃、貿易・為替管理組制の可急納な緩和、その他自由化を阻んでいた諸措置の排除が要詰されたのは、戦後貿易の一つの大きな支柱となっでいたガットの自由・無差別の通商原則でした。各国はいずれもこの原則を尊重し、それに近づくぺく努カを払ってきました。日本の場合には種々の規制措置を取払っていきましたが、それはむしろ外圧による影響が大きく作用したように思われます。これは国内の家計や産業の国際競争力がどの程度外国企業のそれに対抗できるかという不安や外貨準備高が充分でなかった理由にもよるのでした。国内産業保護という名目で高関税政策や非開税障壁の設定、貿易管理など保護貿易主義とかかる障壁や管理を一切取り払った、財、用役及び資本の自由な移動を認めて貿易による利益を最大にならしめる自由貿易主義は古くから理論的に対置されていましたが、自由化を図るにしても、段階的に規制措置が取り払われていくにしても、完全な自由化という最終目的に達するわけにはいきませんでした。自由化進展の目やすとなるものは国際収支の動向、輸出伸長力、外貨準備高及び国民総生産、国民所得の規模などによって比較判定されます。日本とOECD及びアメリカその他の先進国の間ではこれらの判断にズレがあり、自由化進展のぺ−スに差が生じたものと思われます。
貿易に対する国家の干渉をできるだけ少なくして、貿易は個々の産業と商業の自由に任かせ、比較生産費の原理にもとづく有利な国際分業を実現して、各国はそれぞれ比較的に生産性の高い産業に特化することによって社会的生産物を増加し、一人当り国民所得と生活水準を上昇させようという点でがあります。そのためには自由主義貿易と今日の自由化との背景の差異なるものを理解しておく必要があります。今日の自由化は国際通貨基金、ガットなどの国際機閥の枠内において推進され、19世紀の自由貿易のように一国の政策として打ち出されているものではありません。今日の自由化は国際金本位制のように一挙に完全な形の自由化を着こなおうとするものではなく、徐々にに自由化をおこなうものです。それは貿易為替の管理制度が依体、堅待されており、国内的には管理通貨制のがたちをとります。財政金融政策を通じて国家の力も強く作用しでいます。今日の自由化はブロック経済を基礎にした自由化でであり、ヨーロッパ諸国が自由化に踏み切る前に、ヨーロッパ共同市場、自由貿易連合などのブロックを形成しました。国際諸機開の存在が常に国際協力を要請し、国家の経済への介入が管理の要素を残し、自由世界市場の範囲がせばまっているために、限られた領域及び開発途上諸国での市場の開拓をおこなわなければならないという制約があります。加えてブロック形成の機運も、それが域内と域外に格差を穀けている以上、それに対抗するために新しいブロック化を醸成します。
ブロック主義の経験は賃幣同盟から始まっていますが、交易地域のブロック化は1930年代中期以後にありました。ブロック化の最たるものは拡大ECであって、域内諸国間ではお金を除く、財、用役、資本の移動を自由にして特恵を写えあっていますが、域外に対しては逆に障壁を設けて格差をつけるというものでした。その対抗上、各種のブロック化構想が生まれているのでした。日本では大平洋経済圏構想や円経済圏構想なるものがそれでした。自由化がある程度の制約を持ったものであり、それと裏腹にブロック化、保義主義が常に現われ、自由化と逆の傾向を見せる可能性のあることを認識しておかねばなりませんが、こうした現状に対して、その基礎にあって考えられるものは、国際収支の均衡や調和した経済社会の発展という考え方になります。しかし調和のとれた均等発展が資本主義社会では考えられるものなのが、国際主義と国民主義の併存も同時に考えておくぺき問題と思われます。

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